家庭環境〜小学生〜

 

前のブログの続きになります。

前のブログから読む事を推奨します。

 

 

小学校入学前、騒音問題等で大家さんから「出て行ってくれ」と告げられたらしく

私達家族は少し離れた地域へと引っ越しました。

 

通う小学校のすぐ近くのアパートで、ちゃんとお風呂も付いていて、ボタン1つで湯船に入れる事が私の中で衝撃的でした。

 

祖母と距離が離れた為、自然と会う頻度は減っていきました。

 

 

✡小学生✡

 

母は近所付き合いが苦手だったので、小学校に入学するまで他人と接触する事がなかったです。

なので我が家の光景が異常という事に気付くことはありませんでしたが、小学生になり“周囲の家庭とは違う”と知る事になりました。

 

・パチンコに行く事が珍しく、幼稚園に通うのが一般的。

・わがままは言ってもいい。

・文房具や衣類、真新しく可愛らしい物を買い与えられている。

・一般的な家庭は専業主婦の母親は家を空ける事はほぼなく、行き届いた家事がされている。

・家族旅行や家族写真など、思い出を作る事がある。

・家に帰れば「おかえり」って優しく迎えてくれる存在がいる。

・毎日お風呂に入る。

 

 

私の中で当たり前だった事はほぼ全てが他の家庭とは違っていました。

 

家に帰れば“ゴミ屋敷”と言われる程散乱した状態、母は置き手紙に「パチンコに行く。遅くなったら適当に食べてて」と残し、パチンコの閉店時間前後までいないのが当たり前で。

成長と共にパツパツになった服をいつまでも着ていたのも、靴底が擦り減って穴が空いた状態で履き続けていた靴も。

お風呂があるにも関わらず、光熱費や水道代節約の為2日に1回しか入れず、不潔だった事も。

大型連休や夏季休み、冬季休みにお土産をくれる友達に、お土産を返す事が出来ないのも。

 

全部全部恥ずかしくて、周りに知られてはいけない、と必死に隠していました。

 

毎月500円程のお小遣いを貯めたり、お年玉で服や靴、文房具を買い、誕生日に父方の祖母がくれる服は大きめのサイズを頼む、など幼いなりにバレない努力をしていました。

 

また、小学校入学直後、母方の祖母はガンで亡くなってしまいました。

優しかった祖母が亡くなり、悲しかった事を覚えていますが、亡くなってから母から聞かされた話で私は祖母に好かれていたのか分からなくなりました。

 

よく預けられていたのは、祖母が私達を可愛がっていたからではなく、

母から預かってる事を理由にお金をもらっていたそうです。

 

また、母が育てられた環境についても話され、祖母も毒親だったようです。

当時の私は母の事が好きだった為、泣きながら話す母を見て、母を苦しめていた祖母に対する思いはとてもいいものとは呼べないものでした。

「大好きなお母さんを泣かせるなんて酷い」

そんな風に思っていました。

 

小3から夫婦関係の悪化で、よく離婚の話をされていました。

「親族や血縁者が私達子ども以外居ないから見捨てないで」と弱々しい母を見て、幼ながらに『お母さんを守らなくちゃ』と強く思っていました。

 

 

当時は我が家が他の家庭と違う事は理解したものの、脳内お花畑だった私はそれほど悩む事はなく

“愛さえあれば”幸せなんだ、と思っていました。

 

“愛があるなら”幸せだったのだと今でも思いますが…。

 

 

 

→続きます