家庭環境〜生い立ち〜

 

皆さま、如何お過ごしでしょうか?

 

毒親から離れた詳しい話をする前に

私が育った環境についてお話させて頂きます。時系列や文脈等、分かりづらい部分が多々あると思いますが、温かい目で見てもらえると嬉しいです。

 

 

✡生い立ち✡

 

片田舎の古びたアパートで2、3歳〜6歳頃まで育ちました。

古いからなのか、部屋のお風呂は壊れていたのを覚えています。

 

家族構成は 父・母・2歳上の姉の4人暮らし。

同じアパートの別室には母方の祖母が住んでいた為、よく祖母に面倒を見てもらいました。また、2、3日に1回程の頻度で祖母の家でお風呂を浴びさせてもらっていたようです。

 

父は週6日出勤で7時前に家を出て帰るのは23時頃だった為、私は父の事を家族の様に思えず、幼少期から父との距離感に悩まされていました。

母は当時専業主婦でしたが、両親共にギャンブルが好きだった為、父の休日は両親がパチンコ屋に行く事が多く、平日でも母はよく遊びに出かけていました。

5歳の私と小1の姉の2人でお留守番をする事もありましたが、大半は祖母の家に預けられていました。

 

金銭的理由で姉も私も幼稚園等には通わず、母が出かけるときは祖母に預けられる機会が多かった為、必然的におばあちゃんっ子でした。

 

母は「お金がない」と口癖の如く言っていた為、私は欲しい玩具もおやつも我慢していました。と言うのも、姉がわがままな性格で私と正反対の人間だったので、母にわがままを言い困らせ、叱りつけられていたのを見て育った為私は“わがままを言えば怒られる”と思っていたのだと思います。

 

成長してから気付いたことですが、あれだけ父が仕事をしていたにも関わらず

子供を幼稚園に通わせる財力がなかったり、いつも金欠だったのは、両親が自己愛が強く自分優先の毒親だったからです。

 

・お金がないと言いつつパチンコへ行く

・煙草やお酒の嗜好品は毎月3、4万ほど消費していた

・貯金はなかった、むしろ借金があった

・パチンコで勝てば外食等に遣う

 

今でこそ分かる事ですが、幼かった私には分からず、母がそういうのなら仕方のないことなのだと思っていました。

 

嗜好品やパチンコにお金を使う事が当たり前で、幼稚園に行くという事が珍しいものなのだと、そう思っていました。

 

→次の話に続きます