藍井 華琳

はじめまして

藍井華琳と申します。

 

今回は簡単な自己紹介と、これから書くブログの内容について、書かせて頂きます。

 

 

【自己紹介】

✡藍井華琳 アオイカリン

諸事情にて、こちらの名前を使わせて頂きます。(架空の名前)

✡女性

✡今年で19歳になります。

✡現在は親元を離れ、4歳上の彼氏さんと同棲しています。

✡精神科通院歴有り。境界性人格障害を患っています。また、市販薬依存症や自傷行為等様々な問題を抱えております。

毒親育ちです。

✡趣味は絵を描く事です。

 

以上。

 

【ブログ内容について】

先にも述べた通り、私は精神病を患い、そして幾つかの苦難と闘っています。

 

私はこのブログを通して“人を幸せにする”等の想いは持ち合わせてはおりません。

人を幸せにする以前に、自分自身の問題を解決しなければいけない。そう思っている為、このブログは誰かに向けた物として捉えるには歪で、欠陥しています。

 

では、何故ブログを書くのか。

それは誰かに知ってほしいからです。

漠然的な思いだと自覚はしております。ただ、私が生きた証を、足掻いた軌跡を残したい。

 

このブログは完全なる自己満足であり、そして“藍井華琳”という一人の人間の備忘録でもあります。

 

私がしてきた選択は正しい、なんて自惚れるつもりはありません。それどころか、間違いばかりの人生でした。

それを人様に晒すのは矛盾している様に思います。

けれど、一個人の考えや価値観、そして選んできた道を知ってもらいたい。

 

“こんな人間もいるんだな” “そんな考えもあるんだな” その位の感じ方でいい、ただこの世界には私の様な人間がいて、こんな人生があった、それを知ってもらいたいのです。

 

文才もなく、分かりづらい物だと思いますが

温かい目で見て頂けると幸いです。

 

私の経験が誰かの役に立つことが少しでもあったらいいな、とも思います。

反面教師だとしても。

 

世間の風潮を見て、私は感じる事があります。

最近よく見る“量産型”の文字。人に同調して悪意を剥き出す人々。“一般的”や“普通”に捕らわれ、異なるものは悪と見做す風潮。

 

私自身、毒親育ちで自分が普通ではないと知り、必死に普通になる努力をして生きてきました。

けれど、普通になる事は出来ませんでした。

 

「どうして私の家だけ他と違うのだろう」

「どうして周りの子は当たり前に幸せに生きているのだろう」

「ズルい、ズルい、ズルい!」

 

そんな気持ちで生きていた時期もあります。

正確に言うと、今でもたまにそう思ってしまう事もあります。

 

けれど、ある日知り合いの目上の方にある言葉を貰い、私の考え方は大きく変わりました。

 

「貴方は人より険しい道を歩んできた。回り道を何度もしてきた。つらい事も多かっただろう。けれど、それらは無駄ではなく、貴方の人生を輝かせる物になる。」

 

「同い年の子と自分を比べた時、どちらが幸せかを考えるのはやめにしよう。経験は何よりも貴重なものだ。」

 

つらい思いで生きてきた人生が、初めて肯定された様な感覚でした。

私が生きてきた事、悩んできた事を“輝かせる”のも“腐らせる”のも自分次第なのだ、と。

 

私はこのブログは誰に向けた物でもない、と述べましたが、もし誰かの役に立つことが出来るとしたら、同じく毒親に悩む未成年者の方々です。

偉そうな事を言える立場でも、教養がある訳でもありません。けれど、私がこうして今、毒親から離れ生きている事実は、誰かの希望になれるかも知れない。

 

実際、私が毒親から離れるまで、未成年者では親元から離れる事は不可能だ、と思っていました。

調べて出て来る内容はどれも非現実的であり、困難なものばかり。

私は警察や児童相談所へ行った事もありましたが、状況もあり、離れる事は出来ませんでした。

 

その時、酷く絶望したのを鮮明に覚えています。

〔つらい 助けて〕〔親から逃げる方法〕等

色々調べると必ず出て来る、警察や児童相談所の名前。

「死ぬくらいなら相談してみよう」そんな言葉を鵜呑みにしていましたが、それは綺麗事に過ぎませんでした。

とは言っても、私が17歳だった事、自殺未遂で保護された事、精神病を患っていた事。

様々な問題が重なった結果だったのかも知れません。

 

けれど、知識の無い私は まさに絶望の淵でした。

 

“助けてくれる人はいない” “私に残された救いの道は死だけ”

 

そう感じていました。

けれど、今こうして18歳にして親元を離れた事、救いの道が他にもあった事。

それを毒親に苦しめられる未成年者に伝えたいです。

 

長くなりましたが、このブログを通して一人でも誰かの救いになれることが出来たらいいな、と思っております。

そして、普通に縛られる人に、私の普通ではない人生を知ってもらいたい。

人間は十人十色と言いますが、世間の風潮でその考えが悪と思う人もいると思います。

私は肯定されたいのではありません。

ただ、こういう人もいる、こういう考え方もある、そう思ってもらえるだけでこのブログの存在意義があります。

 

長々と書いてしまいましたが、今回はここまでにします。

 

もし、ここまで読んでくださった方がいるとしたら、心からの感謝を伝えたいです。

分かりづらい文脈や、なけなしの語彙力ですが、これからも私の人生録を書いていきますので、よろしければ見て頂けると嬉しいです。

 

ブログを読んでくださった皆様に幸せが訪れる事を祈っております。